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もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら
ここでは
- 日本人選手は、最初にプロ入りした球団が史実と異なっていた場合
- 外国人選手は、史実では日本でプレーしなかった選手が入団していた場合
を取り上げます。
ドラフト会議以降では、主に逆指名や自由枠で入団した選手を取り上げます。
- 史実で指名していない球団が指名していた場合はもしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたらへ
- 実際に入団した球団と指名が競合していた球団に指名されていた場合はもしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったらへ
目次
ドラフト制度以前
長嶋茂雄→南海
長嶋茂雄は南海ホークスが決まりかけていたにも関わらず、読売ジャイアンツに入団しました。もしすんなり南海に入団していたらどうなっていたか?
- おそらく南海の人気が巨人に迫り、身売りされることはなかったかもしれない。
- 逆に巨人がナベツネがオーナーになった後に身売り。
- そして阪神がダイエータイガースに・・・
- そして福岡に移転。
- 関西を代表する人気球団は阪神ではなく南海となっていた。
- 巨人のV9もたぶんなかった。
- 背番号「3」は永久欠番にならず清原和博が着用していた。
- 栄養費問題でバッシングを受けていた可能性あり。
- 徳光和夫は日テレでなく南海電鉄に入社していた。
- 07年現在のソフトバンクの監督は長島
- 逆に現在の巨人の監督は王
- 生卵事件の王の部分が長島になっていた
- 「長島」じゃなくて「長嶋」
- 野村克也は長嶋を嫌う事はなく、普通にチームメイトとして付き合っていた。
- 立教の同期である杉浦忠とKKばりの名コンビとなっていた。
- 杉浦は巨人に入る予定だった
- 亜希子夫人と出会わず、一茂らも生まれなかった。
- 「熱闘甲子園」のアシスタントは、朝日放送の女子アナが務めていた。
- 難波昭二郎は史実以上に活躍していた。
野村克也→巨人
野村克也は巨人ファンゆえに読売ジャイアンツ入団を希望していたが、当時の捕手層の厚さから断念し、南海ホークスに入団しました。もし巨人に入団していたらどうなっていただろう?
- 入団3年は二軍暮らしが続いていたが、めきめき力をつけたため藤尾茂の外野手転向が早まったかもしれない。
- 沙知代夫人と出会う事もなかっただろう。
- よって「生涯現役」を実現できたかも。
- 森昌彦(祇晶)が世に出なかった。
- または野村が外野手へコンバートされた。
- 監督にも就任し、他球団から戦力外となった選手を掻き集める。
- そして彼らによって新たな黄金時代が築かれたであろう。
- 巨人で「野村再生工場」が機能していた。
- 長嶋・王・野村で「NON砲」と呼ばれていた。
- 長嶋が南海に入団していたら「ON砲」の「N」は野村のこと。
- 才能を見出してもらえず。ずっと二軍暮らしで5年以内で引退。
- 投手分業制やデータ野球の導入が遅れ江本・江夏は早くに引退し古田も名捕手になり得なかった。
- 阪神監督への就任もなかった。
- 南海は1960年代半ばには成績が低迷していた。
- 最悪の場合、西鉄と同時期に身売りされていた。
張本勲→巨人
- ここでは高校を出てすぐに巨人に入団していたらということを考えます。
- 実史ではⅤ9巨人スタメン唯一の泣き所だった5番バッターに定着し、長島や王と共に「ONH砲」の3人のクリーンナップで打撃タイトルを独占。見事V10を達成していた。
- 王の巨人監督辞任後、藤田が復帰せず張本が後任に就任、長島の監督復帰まで指揮を執っていた。
- 背番号「10」は巨人の永久欠番になっていた。
- 大杉勝男は東映に目をつけられてもらえず、プロになれなかった。
- 1975年の巨人最下位は無かった。
- 2008年現在は日テレ専属の野球解説者になっていた
- そうなれば、当然日曜日朝放送のTBS系「サンデーモーニング」のスポーツコーナーで「喝」を入れる事も無かった。もしかして、そのコーナー自体無かったか…。
- 「ザ・サンデー」で似たようなコーナーを持ってたと思う。
- そうなれば、当然日曜日朝放送のTBS系「サンデーモーニング」のスポーツコーナーで「喝」を入れる事も無かった。もしかして、そのコーナー自体無かったか…。
- 松木謙治郎と出会う事はなかったので、史実ほどの成績は残せない。少なくともクワトロスリー(生涯成績3割300本塁打300盗塁3000本安打)は達成していない。
別所毅彦→巨人
別所毅彦(別所昭)は1942年に南海に入団しましたが、南海球団との待遇に不満を持ち、移籍騒動の末に巨人に移籍しました。
この移籍の陰には、本来は巨人入りを熱望していたこともあったそうですが、もし別所が1942年から巨人に在籍していたら?
- 1946年と1948年のグレートリング→南海の優勝はなかった。
- 代わりに巨人が優勝していたかも。
- 巨人VS南海が遺恨化することはなかった。
- 長嶋茂雄のようなこと(南海入りが決まりかけながら巨人入りした)があれば別だが(別所の時代は長嶋の時代より前だが)。
米田哲也→阪神
米田哲也は阪急と阪神の二重契約の末に阪急へ入団しましたが、もしこのとき阪神に入団していたら?
- 巨人の優勝回数が減っていた可能性も。
- 当然V9もない。
- 阪急は60年代後半以降も暗黒時代のままだった。
- 場合によっては1970年代、西鉄と同時期に球団が売却されていた可能性がある。
- 1973年のセ・リーグは阪神が優勝していた可能性がある。
ドラフト制度以後
落合博満→ロッテ
- ここでは大学を卒業あるいは中退してすぐロッテに入団していたらということを考えます。
- 金田監督とは因縁を持っている実史とは対照的に良い師弟関係を築き、名球会にも加入していた。
- ロッテは黄金時代までとはいかなくとも常勝チームとなり、70年代後半のパは阪急とロッテの2強だった。
岸孝之→楽天or巨人
岸孝之投手については、西武と地元の楽天、そしてドラフト直前に大隣憲司の獲得を断念した巨人が交渉しましたが、尊敬する西口文也投手がいることを理由に希望枠で西武に入団しました。 もし楽天か巨人に入団していたら・・・
- 楽天の場合
- 2007年は3位に入り、チームは悲願のCS出場を果たした。
- 巨人の場合
- 新人王を獲得していた。
- 2008年は日本一になれていた。
- 西武のその後
- 2007年は最下位に。
- 2008年はなんとか優勝するが、日本一にはなれず。
高橋由伸→ヤクルト
- 背番号は3か9になっていた。
- 二岡は広島に入団していた。
- 小野寺麻衣と結婚することはなかった。
- フジのアナウンサーと結婚していたかも。
- ヤクルトはその後も慶應の選手を多数獲得。
- 藤井、青木、田中浩康ら早稲田の選手は他球団へ・・・?
二岡智宏→広島
- 広島県民から嫌われることは無かった。
- 野村謙二郎は2000本安打を打つことなく引退していた。
- シーツが2003年に入団する可能性も低くなり、下手すると2005年の阪神優勝が無かった。
- 山本モナと出会うこともなかったかも。
- 1998年のドラフトでは東出輝裕を指名していない、もしくは指名していても3、4位前後だった。
- 金本や新井と同様結局FAで他球団移籍していた可能性大。ただし日ハムに行くことはなかったと思う。
福留孝介→巨人
日本では中日でプレーした福留孝介ですが、1995年時点では中日のほかに巨人も希望していたほか、FAでは巨人移籍も最初は視野にあったそうです。もし巨人に入団していたら…
- 入団1年目でクリーンアップの座についていたかも。
- 1999年と2004年は巨人が優勝。
- 2007年CSで大惨敗することもなかった。
- 巨人は高橋由伸と二岡智宏のいずれかを獲得しなかった。
- 福留は当初ショート。外野に転向したとしても松井秀喜と清水隆行がいて、ポジションがかぶるため。
- 2007年のFAで入団していたら、高橋・二岡はトレードに出されていた可能性もある。
- やっぱり年俸で揉める。
- そして史実どおりMLBへ。
山口鉄也→横浜or楽天
読売ジャイアンツの山口鉄也は、実は出身地の球団である横浜ベイスターズのファンで、横浜の入団テストを受け、当時在籍していた佐々木主浩も獲得を進言していましたが、結局不採用になりました。その後楽天の入団テストも不採用になり、3球団目の巨人の入団テストでようやく合格になり入団。現在に至ります。
もし、山口がこれらの球団のテストに合格していたら、どうなっていたのでしょうか?
- 横浜
- 大魔神佐々木の引退後の評価が、若干変わっていたかも。
- 「第2の大魔神」として横浜のストッパーに君臨する。
- そもそも、テストの段階ではストレートが130km程度しか出ないレベルの投手。横浜が取っても、打てない吉見が一人増えただけな気が・・・
- 楽天
- 2007年はAクラス、2008年も4位は狙えていたかも。
外国人選手
デーブ・スチュワート→巨人
1985年、巨人はデーブ・スチュワートを獲得する計画がありましたが、買春の疑いがあったとして巨人移籍は取りやめとなりました。もし巨人に移籍していたら…
- 1986年は巨人が優勝していた。
- 日本でまともな成績を残せなかった場合、メジャー復帰後に才能開花しその後は実史とあまり変わらなかったかも。
- 王監督がミッチェル獲得に動くこともなかったかも。
- サンチェの巨人入団もなかった。
オレステス・デストラーデ→阪神
西武入団前年に阪神が獲得する計画がありましたが、当時の外国人枠の問題から断念しました。もし入団していたら?
- タイ・ゲイニーは西武入りしていた。
- この頃西武はデストラーデとゲイニーのどちらを獲得するか悩んでいた。
- ラリー・パリッシュの阪神入りもなかったかもしれない。
ケビン・ミラー→中日
ケビン・ミラーは02年オフに中日ドラゴンズと契約を一度結んでいたが、実史ではそれを破棄しボストン・レッドソックスに移籍しました。
ではもしミラーがレッドソックスでは無く中日に移籍していたら
- アレックス・オチョアの来日はなかった
- うまく当たれば03年にはリーグ優勝を果たし、04年との連覇にも貢献
- 好成績を残せなかった場合、暗黒時代突入もありえた。(守備ではアレックスの方が上だった)
- オマール・リナレスは史実より2年早くキューバに強制送還された。
- その後、広島に移籍していた。
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