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もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら/さ~な行
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目次
王貞治
- 巨人→阪急
1961年に、阪急ブレーブスのエース米田哲也との交換トレードの話が水面下で進められていたが、阪急が断ったため幻となりました。もしこのトレードが成立していたら…。
- 王はホームランバッターとしては大成しなかった。
- 年間55本、通算868本もホームランは打てなかった。
- 国民栄誉賞も受賞できなかった。
- ピンクレディーの「サウスポー」も出なかった。
- 「OH」が「Ô」になっていた。
- 引退後は朝日放送の解説者。
- 「おはよう朝日です」で宮根誠二に突っ込みまくられている。
- 巨人の背番号1は今でも普通に使われていた。
- 山本功児は主力として一塁を守っていた。
- 「ヨネカジ時代」は訪れなかった。
- 投手に再転向した可能性もある。
- 巨人のV9はなかった。
- 1970年代には阪急が何度か日本一になっていた。
- とりあえず、王貞治の一本足打法はない。
- 素質はあるので、3割30本、つまり史実の加藤秀司くらいの打者にはなる。
- その場合、ポジション被る加藤は「干される」「外野手として起用」「高井保弘のような代打者」「阪急以外がドラフト指名」のいずれかの道を歩む。
- 監督をやるとしたらもちろん阪急でってことになるだろう。少なくともホークスの監督にはならなかった。
小笠原道大
- 日本ハム→中日
- ポジションが被ってしまうため、中村紀洋のテスト入団はなかった。
- しかし森野将彦の外野コンバートは史実通り。
- 中村紀洋は日本ハムか楽天が獲得していた。
- 日本ハムが人的補償で獲得した選手が「日本ハムの小笠原」になっていた。
- スコアボード表記が「小笠原道」になっていた。
- そのため、小笠原孝は「日本人にも関わらずフルネームで表記されている」という珍しい事が起きる。
- 2007年以降の巨人の成績は史実ほど良くなかった。
- 2008年は巨人ではなく阪神がリーグ優勝していた可能性がある。
落合博満
- ロッテ→巨人
1986シーズン終了後、トレード先はほぼ巨人に決まりかけていましたが、当時の中日の星野新監督が主力選手の牛島や上川を放出して大逆転で中日移籍が決まりました。もし巨人に移籍していたらどうなっていただろか。
- 牛島和彦や上川誠二は引退まで中日でプレー。
- 牛島は2004年から中日監督に、大矢明彦は2005年から横浜監督に。
- 引退直後の牛島はTBSではなくCBCで解説者になっていた。
- 落合はコーチや監督を経験しないまま人生を終えている。
- 中日には牛島という絶対的なストッパーがいるため、郭源治がストッパーに回ることは無かった。
- 牛島は2004年から中日監督に、大矢明彦は2005年から横浜監督に。
- 1993年当時は既に巨人に在籍していたためFAは行使せず。
- 落合の背番号は5になっていた。
- トレード相手は駒田あたりか?
- ポジション的に被る中畑が出されていたかも。投手なら西本とか?
- 中日では無く巨人の監督に就任していたかも知れない、或いは未だに解説者
- 斎藤雅樹と交換されていた可能性も否定できない。
- ロッテ→巨人(1980年頃)
これより前、1979,80年、二軍でプレーする落合選手の素質を当時の長嶋監督が見抜き、ロッテにトレードを申し込んだそうです。 もし、このタイミングで巨人入りしていれば?
- 内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤー
- 原、中畑、篠塚の控えとして使われた。
- 左キラーもしくは代打の切り札
- 従って南海から山本雅夫の獲得も無く、エンマ記者暴行事件も起きなかった?
- 巨人→ヤクルト(1997年)
ポジションが被る清原が移籍したため、出場機会を求めて日本ハムに移籍しましたが、この時、ヤクルトの野村監督からも入団の誘いを受けていました。この時、ヤクルトへ移籍していたら・・・
- 広島からの小早川の獲得は無かったと思われる。
- むしろ1997年開幕戦の小早川の3連発がなかったことでペナントレースの展開も変わっていたかも。
- 横浜は1960年以降のリーグ優勝がない状態が続いていた。
- 1997年~98年は信子夫人はサッチーのいじめに耐えていた?
清原和博
- 西武→阪神
清原選手は1996年にFA宣言した際、巨人と阪神からオファーを受けていましたが、結局巨人に移籍しました。もしこのとき巨人ではなく阪神に移籍していたら…
- 阪神の暗黒時代は史実より早く終わっていた。
- うまくいくと20世紀中に優勝していた?
- 甲子園では「地元の星や」と大歓迎。
- 金本知憲は阪神に入らなかったかも。
- 八木裕の背番号が「7」に変更になり、今岡誠は「4」になっていた。
工藤公康
- ダイエー→中日
工藤公康は1999年オフにダイエーから巨人に移籍しましたが、中日移籍の話もありました。もし中日に移籍していたら?
- 本人・チームともに2000年の成績がもう少しまともになっていた可能性がある。
- 地元ファンは大歓迎か?
- 野口茂樹の背番号が変更になっていた可能性も。
小坂誠
- ロッテ→楽天
小坂誠は2005年オフに巨人の誘いを受けロッテから移籍するも、打撃不振などからレギュラーをつかむことができず、2008年オフに楽天入りしました。では2005年オフに小坂が楽天に入っていたら?
- 最悪でも、現実ほど悲惨な状況にはならなかった。
- 2008年も4位に上がれていたかもしれない。
- 巨人のメークレジェンドの状況も変わっていた。
定岡正二
- 巨人→近鉄
元巨人の定岡正二はキャリア末期に近鉄へトレードされる事になっていたが、これを拒否しました。もし、そのトレードをすんなり受け入れていたら・・・。
- 淡口憲治と山岡勝は引退まで巨人。
- 近鉄ではリリーフ要因として2,3年投げていた。
- 1989年の日本シリーズでも投げるも、大局に影響はなかった。
- 引退後、「へなちょこ」「負け犬」などと呼ばれる事はなかった。
- いや、巨人OBであることをネタに芸能界入りするのは同じで、結局その後の人生は変わることなかったと思う。
- 芸能活動は関西メインとなり、所属も吉本興業もしくは松竹芸能だった。
- 後に出演するTBS系のスポーツ番組に出演する事が無かった。
田口壮
- オリックス→阪神
田口壮は2001年FAでカージナルスへ移籍しましたが、阪神も獲得に動いていました。本人の意向で阪神入団はお流れとなりましたが、もし田口壮が阪神に入団していたら…
- 2002年の阪神はAクラス入りは果たせた。
- Aクラスは果たせなかったとしても、もう少し良い成績を残せていただろう。
- 巨人は優勝できなかった、あるいは優勝してもデッドヒートは必至だった。
- カージナルスの2006年のWS優勝はなかったかも。
- 2004年もWS出場を果たせなかった可能性あり。
- 2003年にアニキ(金本)は他球団へ移籍していたかも。
- 「阪神に行きたくない10カ条」の影響で、阪神ファンから全く応援されなかった。
- そのまま不振に陥り、2,3年でひっそりと引退。
- そして、石嶺、山沖、星野と続いた失敗FAに名を連ねていた。
- そのまま不振に陥り、2,3年でひっそりと引退。
仁志敏久
- 巨人→オリックス
2006年オフにオリックスから巨人にトレードされた谷佳知ですが、シーズン中にも仁志敏久とのトレード話がありました。しかし仁志が拒否。結局仁志は横浜にトレードされました。もしこのトレードが実現したら・・・。
- 仁志と原監督の仲違いはあまり大きくならなかった。
- そして原監督もそんなに批判されなかった。
- 巨人の外野が大変なことになっていた。
- 同時に横浜の内野も(以下略)。
- 藤田一也、野中信吾、石川雄洋らによる二遊間争いが1年早く始まった。
- 同時に横浜の内野も(以下略)。
- 平野恵一も谷とのセットで巨人に出されたかも。
中村紀洋
2002年オフ
02年にFA権を取得してメッツ・巨人・阪神の3球団に入団する事を考えましたが結局、年俸3億から5億円(当時の日本人プロ野球最高年俸)の値上げで近鉄に残留しました。
仮に中村ノリが02年のFA権を取得して上記の3球団に移籍していたら。
- 少なくとも近鉄の身売りは実史よりも遅れていた
- ドジャース(マイナー)→オリックス→育成選手扱いで中日(その後昇格)にはならなかった。
- オリックスともめて自由契約になる際、野球と関係のない所属を含めたコラがネットにばら撒かれることもなかった。
- ドジャース(マイナー)→オリックス→育成選手扱いで中日(その後昇格)にはならなかった。
- 近鉄→メッツ
- 新庄と日本人選手どうしとして競演していた
- 天然芝球場で尚且つ近鉄時代に怪我をする前なので実史のドジャース時代に比べたら活躍がマシになる
- とわ言えマイナー落ちになってたら悪名高いままメッツの契約が切れる2年後に近鉄に復帰していた
- 近鉄→巨人
- 松井の穴埋めとして活躍を期待されるが、思うように活躍できず巨人の成績は上がっても精々3位か4位に留まった
- その後、本人の性格の問題からフロント、選手間の亀裂を自ら作り谷や李承燁の加入と引き換えに他球団に放出されていた
- 近鉄→阪神
- 片岡やアリアスとポジションが被るため、彼らとレギュラー争いを演じた。
- あるいは今岡が控えになったかも。
- ショートにコンバートされた可能性が高い。
- しかしあまり実際の歴史と変わらなかったような(リーグ優勝→過大な報酬を要求→メジャー挑戦→…)
- それでも一時期は人気が出て、食いだおれ人形に扮した中村ノリ人形が登場する。
- 阪神ファンは「地元の星だ」と大喜び。
- 甲子園は天然芝球場なので怪我が減って実史よりも活躍できた可能性も・・・
- 阪神では珍しい1973年生まれのスター選手となっていた。
2004年オフ
2004年の球界再編後、ロサンゼルス・ドジャースに移籍します。その後2度目のFA宣言で2009年から楽天に入団するのですが、もし分配ドラフトにより2005年から楽天でプレーしていたら?
- 近鉄→楽天
- 年俸の大幅減は避けられなかった。
- もめて自由契約→中日へと史実をかぶるかも。
- 無論4番を打っていた。
- 1年目の楽天は最下位脱出は無理でも、もう少し(03・08年の横浜程度は)勝てていたかも。
- あの頃はお山の大将状態だったので史実よりもっと酷いことになっていたと思う。
- 1年目の楽天は最下位脱出は無理でも、もう少し(03・08年の横浜程度は)勝てていたかも。
- 2006年にホセ・フェルナンデスを獲得することはなかった。
- 近鉄時代以上にチーム内で浮いてしまって、2度目のFAで巨人か阪神へ。
- その前に寺原と交換トレードでソフトバンク行きもあったかも。
- その場合多村はFAでソフトバンクへ。
- だったら小笠原の抜けた日本ハムのほうが可能性高そう。
- 横浜の場合は金城か石井(琢)、木塚、川村の誰か+若手の2:1トレード。
- 村田がいるからいらんわ。横浜が補強するなら間違いなく投手だし。
- でも土肥を解雇とか謎が多いフロントだからありえたかも。
- その場合は1塁村田、3塁中村、外野で内川とか。
- その前に寺原と交換トレードでソフトバンク行きもあったかも。
2006年オフ
2006年度の終了時に年俸8000万円が気に入らずオリックスを退団、結局年俸400万円で中日の入団テストを受け中日に入団しましたが、中日以前にもヤクルトの古田監督、日ハムのヒルマン監督も獲得(年俸1000万円で獲得)に興味を示していました。もし、これらの球団に移籍していたら?
- オリックス→日本ハム
- 07年の優勝時に大幅な年俸値上げ(年俸1000万円→1億円以上)をフロントに要求する
- 一応日ハムフロントも中村ノリの話を聞き入れ年俸を上げるが、精々2000万~3000万円程度に留まる
- 中村ノリ「俺の価値は2000万かよ!!」
- それに対するフロントの答え→「出て行きたければ勝手にどうぞ」
- 補足として日ハム時代のノリは本塁打打っても20~25発程度だったと思うので
- その後、来年度の年俸が納得できず日ハムを退団するのだが・・・
- 一応日ハムフロントも中村ノリの話を聞き入れ年俸を上げるが、精々2000万~3000万円程度に留まる
- オリックス→ヤクルト
- 07年のヤクルトの成績が多少はマシになった・・・か?
- その結果古田も退団することも無かった。
- 1年だけ復活するも、翌年成績がた落ちで解雇。
長谷川良平
- 広島→中日
- 広島は最下位が続き、大洋の代わりに松竹と合併していた。
- 中日は昭和30年代にもう2、3回優勝していた。
- 長谷川は200勝を達成していた。
槙原寛己
- 巨人→中日
- あの完全試合はもちろんなかった。
- 1994年は中日が優勝していたかも?
- 最終決戦で登板した場合、負け投手になった可能性が高い(ここ一番の勝負に弱いため)
- 確か1985年の対阪神戦でバース・岡田・掛布に3者連続ホームランを打たれたのも槙原だったっけ?
- 1996年は巨人の選手に3連打を浴びた。
- 福岡ドームでの完全試合も無かった…?
- むしろ中日で完全試合を達成していたかも。
松坂大輔
- 西武→ヤンキース
松坂が入札制度によるMLB挑戦を表明した際、ヤンキースは40億円もあれば落札できると予測していましたが、Rソックスが60億もの資金を出したために獲得を逃す形となりました。ではもしヤンキースが落札し、入団していたら?
- 2007年のヤンキースは地区優勝できていた。
- 2008年もポストシーズンに進めていた。
- 日本人MVP1号になっていた可能性も。
- 早ければ2009年か2010年のオフにはヤンキースを退団していたかも?
三浦大輔
- 横浜→阪神
- ベイスターズファンからバッシングを受けていただろう。
- 人的補償で阪神の選手が横浜に移籍していただろう。
- おそらく、辻本賢人投手が横浜に移籍することになっただろう。
- 阪神の成績にはあまり影響しなかった。
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