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もしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったら
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史実で指名していない球団が指名していた場合はもしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたらへお願いします。
目次
清原和博(1985)
野茂英雄(1989)
※史実では近鉄に入団
- ロッテ
- 90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
- バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
- 広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
- 拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
- 小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
- ダイエー
- ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
- 99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
- 野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
- 元木大介は無事巨人入り。
- オリックス
- オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
- 次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
- そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
- 第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
- 日本ハム
- 数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
- 江夏~矢作の後継者と呼ばれる
- 阪神
- 大阪出身なので一躍大スターに。
- 中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
- でも92年は優勝できたのかも
- 史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
- よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
- もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
- 彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
- 葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
- ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
- 大洋
- 先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
- 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
- それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
- でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
- それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
- 斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
- 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
- ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
- ヤクルト
- ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
- 「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
- 女性芸能人若しくはフジテレビの女子アナと結婚していた。
- 近鉄のその後
- 他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
- 人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。
小池秀郎(1990)
- 全般
- 社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
- 近鉄
- 2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
- 右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
- ヤクルト
- 高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
- 石井一久のブレイクが遅れていた。
- 西武
- 工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
松井秀喜(1992)
※史実では巨人に入団
- 阪神
- 阪神暗黒時代はなかったかも。
- 松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが阪神暗黒時代なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
- ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
- 暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
- それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
- というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
- 指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
- ヤンキースタジアムのスポンサー広告が何故かオレンジ色の「○○新聞」などではなく「朝日新聞」になっていた。
- 勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「三菱電機」。
- 浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
- 外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
- 中日
- 巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
- ダイエー
- 活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
- 謎の無償トレードでナベ○ネ部隊にプレゼントされる。
- 王の後継者として期待される。
- 巨人のその後
- おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
- ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
福留孝介(1995)
- 中日
- 原俊介はすんなり巨人が獲得。
- 荒木雅博の指名はなかった。
- 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
- こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
- いずれにせよ荒木・井端の名ニ遊間は誕生しなかった。
- 1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
- 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
- 種田仁は中日で現役を全うしていた。
- 「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
- 近鉄は
- 外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
原俊介(1995)
この年、中日は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
- でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
- ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
- どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
- 小田幸平が中日に移籍しなかった。
- 落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
松坂大輔(1998)
※史実では西武に入団
- 横浜
- 少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
- その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
- 背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
- 横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
- 古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
- 史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
- 99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
- 99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
- 日本ハム
- 北海道移転前に1回くらい優勝していた。
- 06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
- 背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
- 入団拒否→社会人入り、の可能性も…
田中将大(2006)
※史実では楽天に入団
- 日本ハム
- 投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
- オリックス
- 一応、出身地なので大いに歓迎された。
- 横浜
- 1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
中田翔(2007)
- 全部に共通すること
- 1軍に入れてた?
- 他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
- 野手ではなく投手として指名されていたら?
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